ヴォーカロイド雑感

下品な話題なので苦手な方はスルー推奨です。


今や有名になってしまったvocaloid製品だが、
僕が知ったのはノリで埼玉氏が買ってきて遊んでいたMEIKOが初めてだった。
そのころはパッケージもあんなんではなくて、しかも
ソフト自体の出来もすこぶる悪いので身内からは完全にネタ扱いされて終わった。
それからしばらく経って、力量的にはほとんど変わっていないが
パッケージに指向性を持たせた「初音ミク」が発表された。
もちろん僕らはそれを見てゲラゲラ笑っていた。
「これとらのあなで売れよ」だとか。


しかしどうだろうか。食いつく輩が極端に多かったのだ。
僕には不思議に思えてならないのが、こんなにも自由度はあるが
実用的でないソフトに、多くの人間が群がることであった。
詳しい話は分からないが、鏡音リン、レンも売れたらしい。
そして実用されたらしい。
僕には、この一連の騒ぎを見て思うことが一つだけある。

  • 実際のヴォーカルを得ることが出来ない人間が妥協点として購入できる
  • 多くの人間にそのソフトが嗜まれている
  • ヴォーカルと組んで音源を作るに当たって、相手がvocaloidでは不完全である
  • ヴォーカルを得ることは難しく、しかし憧れるものだ

この四つから見るに、僕にはどうしてもvocaloidが、風俗にしか見えないのだ。
風俗というのは不健全な意味でだ。童貞が風俗に憧れを持ったり、自身のそれを捨てたりする
行動に似て見える。だから僕は勝手に、絶対に屈したくないと思っている。
この理論は僕が勝手に思っていることなので、誤解しないでほしい。


ヴォーカルと組むという環境を整備することは、非常に難しい。
たとえば同人であるなら、利益が発生する以上はギャラをまわす必要があり、
しかも組む前に未経験であればヴォーカルの力がどれだけのものかを推する力がない。
だから音源を実際に作るまでそのヴォーカルが使えるのか使えないのかが不明瞭である。
仮に利益の発生しない趣味のつながりで作るとしても、
よほど仲の良い人間としか組むことはないであろうと思う。
これは完全に運依存の条件で、ほとんどの人間が当てはまらない。


一度、vocaloidをかなり本腰を入れて「調教」している友人に聴いた話では、
vocaloidというものは、同じ相手を複数の人間が扱っているために
力差が生まれやすい楽器であり、そこが競争心を煽るだとか、
不完全な楽器だからこそ、本腰を入れられるのだとか聞いた。
が、風俗と決め込んでいる僕にとってはそれらが、
「半端ではない経験を持った女で自分が試されるのが面白い」、
「愛がないからこそ(性的な意味で)本腰を入れられる」だとか、
そういう男子高校生的な観念に置き換えられてしまい、
彼の情熱を理解の範疇外に追いやってしまう。


純粋な欲望に対して妥協点を立てる、という部分が
僕はその男子高校生的な考えの大嫌いなところなのだが、
それが当てはまっているように見えるのです。
誰か同じことを考えた人はいないものか、と思うのですが
そういう人がいたら教えてください。そっとでも構いません。
僕が異常なのでしょうか。



後日談


ある人曰く

  • vocaloidは楽しいものであって面白いものではない
  • わざわざそれを使って曲を作る必要がない
  • 上限とスタートが決まったスコアアタックのような要素がある
  • けどそれは実際にヴォーカル使えばいいよね
  • vocaloidが流行っているのは知っているが曲として知っているのはごく僅か
  • vocaloidを扱うには並外れたポテンシャルが必要になる程、ソフト自体の敷居が高い


との意見を貰いました。
ヴォーカルを使わずにわざわざvocaloidを使うという奇妙な例を見たことがありますが、
僕は穿った見方をする人間なので、
「良く頑張ったねって褒めてもらいたいのかな」と思ったことがあったのを思い出しました。
技術的な面で、vocaloidが複雑怪奇なソフトだということは僕から見ても良く判ります。
人間の声のダイナミクスを直感的に感じ取れる人間はごく僅かだと思うし、
ピッチの揺れも聴こうとして聴ける人はまたごく僅かだと思うので
シミュレーションしづらいと思います。