同人の変容について1

いち同人市場での製作者、という立場でありながら、矛盾したことを色々と書くので
あくまで自分の立場をわきまえずに第三者的視点から大局的に眺めたものとして
理解してください。
もちろん商業的なCDを作っている人間ばかりではないので誤解なきよう。



同人音楽が、宣伝・非宣伝メディアを通じたプロモーションにおいて、
商業的価値を見出し味を占めている雰囲気を醸し出したのはかなり古い時代である。
宣伝メディアを用いたプロモーションの例:同人CD捕捉系サイト
非宣伝メディアを用いたプロモーションの例:ニコニコ動画に丸上げされた自分のCDの削除依頼を出さない、等


偶然にネームバリューというものを手にし、偶然に黒字をたたき出してしまった
製作者がもちろん先駆的(結果的には)であったけれど、
その姿を遠目に見て、実際の商業音楽と似た行動を取ることで
同人音楽に商業価値があるのではないか、といった見方が、ある一定の人間の
中に生まれることとなった。


音楽は元来、「具体的な条件を満たす」音楽を作るうえで作業的である。
商業的な音楽を作ることもそれゆえ作業となりうるが、このときの作業量を顧みたときに、
同人全体の中で最も商業的価値を付与したときの作業量が低いことが言える。
ある意味では、音楽制作者でなくともその特徴を捉える目さえあれば、
企画で商業が成り立つほどのものである。
例として、東方Projectのアレンジオムニバス(初期)にその傾向が見られたのが
露骨な例である。この試みが成功した要素としては、大きく二つに分かれる。
ひとつ、東方Projectが二次創作を行ううえで完全に白であると言えること。
ふたつ、ネームバリューのある製作者が集まったとき、効果としては掛け算になること。


以上のようなことが、同人音楽という本来はどうしようもないアマチュアの、
市場とさえ呼べない利益の発生しないはずの土壌で、商業主義が発達した
大きな理由である。
同人という環境下で、CDを作る人間たちが本来目指していたものは、
音楽という文化の中でいかにオタク的価値感を共有できるか、
そしてそれに対する愛を表現できるか、この点に集約されていたはずである。


しかし、近年になってこれにも変化が見え始めた。
オムニバスという手法がほぼ原始的とさえ思われる近年では、いつかに書いた
ニコニコ動画のMADの記事を参照してもらえればわかるが、
ニコニコ動画による同人音楽のプロモーションに伴い、商業音楽の方向性の固定といった現象が起こった。
このことが原因で、「有名な」二次創作者は一貫した商業音楽の方向性を持つような
動きが出現した。ファンに言わせれば細かく違うと言うだろうが、
実際は「面白く、匿名でコメントを残せなければ」商業的作品として成り立たない。


商業的活動が深まった同人音楽という環境の中で、当然ながら顧客層も増えた。
しかし近年爆発的に増えた顧客は、二段落上の話題で挙げた
オタク的価値感を共有するために集まったものではない。
言うなれば、「外から見てオタクという人間に分類され、その中の流行を見つけ
流されるだけのオタクの皮を被った一般人」が増えた。
この層が何故増えたかというと、同人CDニュースサイトでは
ジャンルに関わらず大きなプロジェクトを取り上げるせいでオタクの趣向という
核心的な部分がゆがめられたことがひとつ、もうひとつはニコニコ動画
ランキング制度で流行が一目瞭然になったことが原因である。
この流入は製作者が次々に商業主義に目覚めていくなか、自然なものだと言えるが、
同人本来の創意とは全く逆の、相容れないものであり、
本来の文化を駆逐しつつあるのが現状である。


そもそものオタク文化とその有用性については、ここでは簡単に省くこととするが
平たく言えば、友人がいない性質(ある一定の物事に興味を持ちすぎることが原因で)を
有した人間が、長く太い付き合いを求めて行われる文化活動が本来の同人である。
この文化活動自体が成り立たなくなると、イベント当地に足を運ぶ必要性が全くなく、
特に近年で同人委託業者の流通の発展があったことから、より人間関係のない
イベントに変容していくなど、様々な弊害を想像することは容易いことである。


僕が言いたいのは何かというと、
にわかである自覚を持った自称オタクが、もっと自分好みのものを自分の目や手、足で
探って欲しいということ。ニコニコ動画のランキングを封印するだとか、方法は
それぞれで構わない。一般の、君たちが付き合いづらいと思っている種類の人間たちと
全く変わらない方法で踊らされていることに気づいてもらいたい。
本当にそれが好きだというのなら止めない。だが君たちが非常に一般的な人間であると
きちんと理解してもらいたい。
製作者については、これは酒を呑みながらガチで話さなければいけないので僕の役目だ。
もはや商業的価値を殺ぐことは実生活の死を意味する人間は別として。


続く。