同人の変容について2

続き。


同人活動にはジャンルというものが存在する。二次創作であれば
様々な一次創作(漫画、アニメ、ゲーム等)がジャンルになりうるし、
メディア媒体(同人誌、音楽、小説、ゲーム等)がジャンルになりうる。
このジャンルというシステムは、元は限られた対象に強い興味を持つ
オタク本来の性質に合ったシステムであり、自然発生的に存在してきたものだと
考えられるものだ。そして、その限られた組み合わせのジャンルの中で、
特に自分が共感できる作品を探し当て、ファン同士や、あるいは製作者と
太く長い付き合いを作っていくことが成されてきた。
ここで重要だったのは前回書いた通りに、非常に狭い趣味趣向に対し
激しい共感を覚える二人が居た際に、強い親近感を持つことに
なる性質が大きい要因となっている。
これは同人にのみならず、僕が知る限りでは非商業・非オタクメディア、
商業・非オタクメディアにも言えることである。
特筆すべきは、「二次創作」という形においては
コピーライトがグレーまたは完全に黒の活動の只中に、製作者もファンも
自分の身を置くリスクを背負うことになる。しかしそのことが文化の
発展に繋がった部分もあったのだ。同じリスクを背負った者同士、という
ある種の強い連帯感がそこにはあった。


同人全体において、極めて異質な例が出来たのは近年である。
「完全に白である二次創作」が今日では存在するのだ。
まず前例から説明する。二つ挙げるがどちらも同人ゲームというジャンルで、
どちらもオリジナルの「一次創作」である。


非常に最近の例から順序を追って説明すると、Type-Moonといったサークルが
企業化し、ゲーム会社になる際、"月姫"といったタイトルが大流行した時代があった。
この時に多くの場合、流行が広まったジャンルは概ね同人誌、小説、ゲームであろう。
仮にも代表作として販売できるタイトルである。
ゆえに、コピーライトに対し寛容にするなどとはもってのほかであった。


次に、"ひぐらしのなく頃に"というタイトルがある。
この作品においては、企業体のメディアミックスを製作者が優先したため、
またBGMが一般的な素材であったことから、そもそも二次創作向けでなかった。
これもコピーライトに対し寛容にするなどとはもってのほかである。
少々やりすぎなぐらいに、売り方が社交的であった。


この二つに共通することは、オタク文化が収まるメディアの中で、
製作者が一次創作そのものの勢いを収束させるつもりが全くないことである。
しかし、本来オタクはことを大きくしたがらない。また、狭いジャンルをやっている
自覚のあるサークルは、そんなことをやっても無意味な流行を生み出すだけだという
自覚も持っている。このことがよく現れているタイトルが、「なぜか今は流行している」。
そのタイトルは、"東方Project"(上海アリス幻樂団作)である。


弾幕STGは顧客を選びすぎた。
「避けることが楽しい」といった革新的なSTGジャンルとして確立されたものであるが、
見た目のゴツさ、また見た目にもわかるような難易度の高さから、
ごく一部、どんなに踏まれてコインを奪われようと決して絶えない不屈の愛情を
STGに注ぐガチのオタクにしか受けなくなっていった歴史がある。ここでのオタクは、
もちろん先述した本来のオタクである。東方Project弾幕STGの同人ゲームである。
作中にどこかで見たことのある弾幕パターンが存在することもある。
作者がいかに本来のオタク気質の持ち主かを物語っている。


そういった、特に人口の少なかったジャンルから出現したタイトルである東方Projectは、
本来製作者自身も多くの人気を出すつもりはなかったであろう。何故か。
まずゲームの全てを、本物のマゾシューターでなければ味わい尽くすことができない。
そういう設計になっているからだ。
少なくともその時点で、製作者の意思としては、伝える相手を選んでいるはずだ。
このため、企業体に成りあがろう、企業体とメディアミックスを行おう(一部されてはいる)
などという活動が主立っていない。しかし、宣伝の役割をしたのは間違いなく、二次創作である。
この東方Projectは公式で二次創作を許していることが他と大きく異なる点である。


東方Projectが同人のジャンルとして存在するようになると、同人のあり方は大きく変わった。
特に同人音楽においては、変わった部分が多すぎると思う。
敢えて実名を出して説明するが、CradleといったオムニバスCDがある。東方Project
アレンジオムニバスとしては先駆的な「商業的偉業」を遺したCDだった。
企画者は曲を書ける人間だが、投資者が曲を書ける人間ではなく、投資者が企画者に対し
製作を命じた。
企画者は自分のアレンジ方面のツテを漁り、多くのネームバリューを持つ人間を集めた。
二枚組みのCDであったと思う。売り上げ、単価ともに当時にしては天文学的な数字のCDであった。
代表的な商業作品であると思う。同人らしくは全くなく、金の流れ自体も集められた人間には
ほぼ支払われずに企画者と投資者に行くあたりが、完全にプロダクションの薄汚いそれと変わらなかった。
参加者の一部は、楽しいノリで作っていたにも関わらず、金儲けのために、しかも作らされた企画に
ただ呼ばれただけだと知り、激怒した。古い付き合いで、それなりの敬いの念もあった人間だったが
僕はこのことがきっかけで企画者の彼とは縁を切った。
(引退まで黙っていようかと思ったが気が変わった。今書いておく。)


この例の横暴さがまかり通ったのが悲劇だったのかもしれない。
これを機に数々のオムニバスが乱立し、「なんかお得そうだから買っておくか」といった
徐々に増え始めてはいたにわかファンに対して高い支持を受けた。多くの場合、宣伝にも
力を入れるプロジェクトが多かったため、より支持を強めた。この流れが取り返しのつかない
顧客の引き入れに繋がったと思う。
またこれ以降爆発的に顧客が増えたのは、ニコニコ動画のお陰である。
面白い試みをしているメディアだったが、二次創作そのものの認知度が高くなり、
元ネタがあるといわれて初めて原作のWebサイトに行ってみるなどといったことが多く起こり、
東方Projectはさらにファンを獲得することとなる。
特筆すべきは、「弾幕STGがこのような爆発的なファンを獲得している」ということである。
世代によっては冷静になって、そして笑えてくると思う。
異常である。一部の偏ったオタクにしか受けないはずのこの分野が受けているのだから。


ただし近年のファンになるにつれ、この異常性の自覚はない。
若い年齢の人間は、弾幕STGがどれだけ限られた層に与えられたサディスティックなゲームであったか
それを知らない。
一般の人間が、オタクであるというだけの人間を見てちょっと引いてしまうような、
ああいった感じが弾幕STGに対してはオタクの中でもあるほどに弾幕STGファンはオタクである。
(失礼ですが)そういったどうしようもない感じのオタクは、現在の盛り上がりを見て
結構ゲンナリしているのではないかな、と傍から見ていて思う。
重要な問題提起としては、現在「騒げればモノはなんでもいい」といった流れになりつつあることである。
最初にも書いたとおり、わざわざ狭い分野を狙って、太く長い付き合いを探し当てるような
そういった環境はもうここにはない。


以上のことはファンについても言えるし、製作者の商業化についても言える。
同人がどんどんオタク向けの環境ではなくなってきているのだ。
そのことを踏まえて警鐘を鳴らすべきであると僕は思うのだが。




ここでいったんシリーズ打ち切り。
市場ではなかったはずの環境が、そこに住まう人間に対してさえ排他的になってしまった原因の、
商業主義の参入とその背景の一連の流れが理解できたら幸いです。
あとはっきり言っておきますが僕は同人で活動する人間全員が嫌いなわけではないです。
同人で活動する人間全体の雰囲気が変な方向に行っているのが嫌なだけです。
実話を交えて説明しましたが、あれ以上の説明はしませんし
あそこに書かれている以上の補足はつけないので尾ひれ伸ばしたら殺す。
あんなことを書くことがどれだけのリスクを負う行為かは僕も重々承知していますが
僕は元々人気を出すことを意図的に避けていますから。全く問題はありません。